過食や拒食、過食嘔吐がやめられず、自分は「摂食障害」だと思っていても、病院に行くという選択をなかなかしない人も多いのではないでしょうか。

私も受診はしませんでした。20年以上もたいへん苦しんでいましたので、受診してみようかと考えたことは何度もありましたが、病院に行ってもどうなるものでもない、薬を飲んだりするのも違う、やっぱりよそう、というぐあいでした。精神科への抵抗感も強かったです。

摂食障害によって、膨大な時間やお金やエネルギーを日々消耗していたにもかかわらず、受診してもむだだろうとか、いろいろと余計なことを考えて行動できないあたり、こういった病気になる人らしいところだったなと思います。

先日、東京で開催された日本摂食障害学会の学術集会へ参加し、摂食障害の治療について熱心に取り組まれている全国各地の、医師や研究者の方々のお話を伺うことができました。

精神科領域だけでなく、小児科や産婦人科の先生も登壇され、思春期の方へのアプローチやコロナ禍との関連、摂食障害と妊娠・出産との関係についても知ることができました。

この病気の患者さんたちが、たいせつな人生を自由に生きられるように、もっと痩せていなくては、などという痛ましい強迫観念にがんじがらめになっている状態から、一日も早く解き放たれるように、研鑽を重ねていこうとの思いを一つにしている場にいられることは、私には喜ばしく充実感がありました。

私は19歳で摂食障害を発症しましたが、その土台はもっと低年齢で作られていました。

中学生頃から家族で外食するような時も自分ひとり家に残ったり、手に取った一枚のクッキーを見つめ「これを食べて、いっときおいしさを味わうか、そんなものはがまんして、細い身体を手に入れて、おしゃれな洋服を着られるようになるかどっちを選ぶ?」と自分に問いかけ、食べるのをやめたりしていました。

高校生になると、ちょっと痩せて身体が軽く感じられる時期にはいきいきとして前向きに過ごすことができ、少し太って身体が重く感じる時期には気分が沈んでうつっぽくなる、という、軽い双極性障害のような状態でした。

このような時に、もっと、自分自身のことを話せる人がいたら。それはカウンセラーなどの「お仕事」の人でもよかったと思います。私はその後にうつや摂食障害にならずにすんだかもしれません。

自分は、自分で救うものです。けれども、助けが必要な時もあります。
助けが必要なことを、どうか恥じたりせずに、人を信じて、助けてもらいましょう。

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