不登校だった子たちは、どんなふうに立ち上がっていったか。

私はかつて、不登校の子どもさんに学習指導やカウンセリングをする仕事をしていました。
もう10年以上前になるので、当時中学生や高校生だった人たちが今では大人になっています。

この仕事に5年間ほど携わり、25人くらいの生徒さんをみましたが、ほぼ全員が復学したり就職したり、いわゆる社会復帰を成しえました。
ここ数年では結婚をしたとの知らせをいただくようにもなりました。
ただ、ずっと全員の方と連絡を取り続けているわけではないので、その後どうされているかは分からない方が多いです。
やはり考えすぎたり、対人緊張があったり、うつや不安症のようになりやすい傾向をもっていたり、といったことは思春期を過ぎても、おそらくはその人の内面的特徴として続くものですし、一時よくなったようにみえても、それでもう無事だ、などといえるものでもありません。そして復学や就職を見届けることができなかった方も、3名ありました。

けれども私は「不登校は治りますか」ときかれたら「治ります」といえます。
その子なりの人生の幸せを求めて歩き出すことが必ずできる、という意味です。

(発達障害の兆候が相当に顕著であったりすると、診断を受けて福祉的な支援を受けることも視野に入れながら、その子の過度の悲しみ苦しみを減らして、しあわせに生きる道を探る方向になるかもしれません)

私が民間の会社に属してこの仕事をしていた関係もあろうかと思われますが、知性的で独創的で個性的で繊細な子どもさんばかりで「周りに合わせて生きる」ということが難しい子は多かった、にもかかわらず「一般社会に適応してそこでいい線いく」ということを(無言にしかし実は強烈に)求められている場合には、情緒的に調子をおかしくしたり、自己受容がうまくいかず、心理的に病んできたりしがちです。
当然といえば当然かもしれません。

けれど親御さんを責めるわけではありません。
こう思うのは、ふつうにまともな親ならたいへんよくあることだと思います。
そして私が担当してきた方々は、親御さんもものすごく努力されて、子どもさんに、それこそ満身創痍で向き合われていました。
今思い出しても頭が下がります。

数年前に、どうやってよくなったのか、あらためて聞いてみたくて。
元不登校の、かつて関わらせていただいた元子どもさんたちに、会いに行ってみたことがあります。

学校を変わったり、進学したり、アルバイトをしたり、スポーツを始めたり、バイクの免許を取りにいったとか、父親と大喧嘩しただとか、転機となったような出来事はそれぞれですが、そのような出来事を起こすエネルギーが蓄えられていた、ということが重要なのであって、それは、本人の中の機が熟した、ということ、そしてそれを助けるさまざまな周囲からのかかわりがあり、それを受け取る感受性が本人の中にあったということだと思います。

どんなにいい本を読んでも、どんなにすばらしい話を聞いても、お友達が優しくしてくれたりしても、機が熟していなければ、まったく変化は見えませんが、ひとつひとつの出来事が魂にしみ込んでいっていて、後で芽を出す力となってくるようです。

その子の種のところ、心の奥にある感受性、そこに、他者とふれあいたいとか、いろいろ経験したいとか、学びたいとか、成長したいとか、そういったものがあるのなら、必ず土を破って芽を出してきます。
押しつけや否定や叱責、本人の不安を煽るような言葉は、芽が出るのをじゃまするように思います。
こういう思いやりに欠けることをする人が、今時いるかなとも思いますが、もしそんな感じの親類などがいる場合はできるだけ会わずにすむようにしてあげてほしいなと思います。

けれども芽を出したいエネルギーの方が結局は強いので、だいじょうぶです。
そのエネルギーは、うまれつき持ってきたものと、生まれてからもらった愛情で、大きさが決まってくるように思います。
たとえ、愛情を受けることや理解されることが少なかったとしても、うまれつき持ってきたものが大きい人もいます。

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